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人は、小さいときに自分がつまずいたものに対して、大人になってからもずっと執着すると思う。
想像よりもずっと深く、ずっと長く。
金につまずいた人は、金に執着する。
暴力につまずいた人は、暴力に執着する。
コミュニケーションにつまずいた人は、コミュニケーションに執着する。
最近特に、そんな気がする。
その執着を元に、昇華させて何かすごいクリエイティブをしたり、周りの人に大切な何かを伝えることができる人もいる。
その執着を元に、自分や周囲の人間を苦しめ、押しつぶすところまで行く人もいるだろう。
いずれにしても、自分の根っこからは生きている間、ずっと逃れられない。
それは幸せ/不幸せを越えたところにある事実で、その根っこをどう自分の中で捉え直すかが大事だと思う。
翻って自分は、コミュニケーションへの執着から、何が生み出せるんだろうか。
求める答えはおそらくそこにしかないし、究極的にはそれ以外のことなんて最初からどうだっていい。
人が本当にこだわるところなんて、実はそんなにたくさんない気がする。
元々は写真を撮るのは好きじゃなくて、大学のときの旅行にはカメラを持っていかなかったりしたくらいだった。
でも、写真というものが、どうしてこんなにも多くの人の心をひきつけるのかを真剣に考えたときに、写真という形に目の前の風景やモノや人を閉じ込 めることが、時間の流れの中にあらゆるもの全てが消え去っていくことに対する人間の本能的な抵抗だとわかった瞬間、写真ってすごく面白いなと思うように なった。そこには人間がいる。
撮り始めてからの最初の変化は、とにかくモノをよく見るようになった。
有名な写真家の言葉で、「みんなモノを見ているようで、実はぜんぜん見てない。見てるようで、実際には考えているだけ」という言葉があって、本当にその通りだなと思った。
「見る」ということは相当意識がいることだと気づいた。
それから、写真に欠かせない「光」を見るようになった。
どこから射しているか、どこにあたってるか、色味、濃淡、光と影の境界線の区切り、拡散、集束、などなど。
1つのモノでも、光の当たっている場所によって、明るさや質感がだいぶ違う。
踏み切りで電車の通過とかに立ち会うと、駅の光、赤いランプの光、太陽の光、電車の光、水たまりの反射、などなど、光がたくさんあってしかも1秒ごとに違う風景になるので、楽しくてたまらない。
今までの人生で、気にしたことすらなかった踏み切りが、こんな意味を持ってくるなんて、本当にすごいことだと思う。
それが、公園に行っても、ビル街に行っても、下町に行っても起こる。
カメラをきっかけにして、自分の感覚が変化したり新しく気づくことがこんなに多いなんて、始める前は予想してなかった。
今世界で最高に盛り上がってる動画。再生回数は派生も含めて5000万回くらい?
エンベッド禁止なのでyoutubeで直接見てください。
オーディション系の番組に出て来たイケてないおばちゃんが実は最高に歌がうまい、というネタ。
なんか感動的な風に語られてるけど、そもそも出てきただけでおばちゃんのこと笑ってるし、終わった後も審査員みたいなやつが「最初はみんな君のこと笑ったけど、今はもう笑わない」とか言ってるし、おかしくね?
そもそも、人のことを笑ってんじゃねーよ。
人のことを笑ってんじゃねーよ。
人のことを笑ってんじゃねーよ。
お前は何の権利があって人のことを笑ってんだ?
youtubeのコメントにも、「美は内部に宿るんだぜ」「私たちは大切なことを忘れていたわ」「見た目と歌は関係ないのよ!」みたいなことが書いてあるし、盛り上がり方が謎だ,,,。
見た目と歌が関係ないのは当たり前だろーが。
カメラワークも客のリアクションも全部やらせだし、こういうことを平気でやれる神経がわからない。ただ、歌はうまい。
ちょっと古い話ですが、こないだ、下半身不随の障害があって、車椅子+介助者2名が必要な状態で小学校に通った生徒が、普通の中学校に入学を拒否され、養護学校行きを勧められたというニュースがありました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090404-OYT1T00525.htm
受け入れ拒否の理由は、町としての財政的な理由で、生徒が通うに適したスロープなどをつくれない、という理由だそうです。
両親は入学できなければ学校への訴訟も辞さない、という物騒なことも記事の中には書いてあったんだけど、これは案の定議論を呼び起こして、①「受け容れない学校が悪い」という意見と②「普通の中学校に通えないのはしょうがない」という意見で二つに割れたみたいです。
ずっと考えてますが、なかなか難しい問題です。
って思うことないですか?
オレはたくさんあります。
もうね、エコとか、おなかいっぱい。いまさらエコとかって気張って言ってて、恥ずかしくない?とか思います。
だって、もうコモンセンスじゃん。全ての人間が気にするべき、っていうことになってるじゃないですか。それを当然だと思わない人が、まだがんばって言ってる気がします。
たまたま、この分野のメディアのパイオニアであるソトコトや、エグいタレント使いで最近人気のエココロを始めた人を個人的に知っていて、会ったこと話したこともあるから言うんだけど、あの人たち、本当はエコとか全然好きじゃないです。
あの人たちは、世代的に、エコじゃない時代をずっと生きて来たから、エコがまだトレンドや概念になってなかった時代に、エコはヒップだ!と思って活動を始めた経緯があります。
エコは、昔ヒップだった。かっこいいことだった。だから、やった。それだけのこと。
それは、文化をつくる側の人間の行為としてはすごくよくわかるし、正しいし、それで時代が前に進んだ。でも、それは今の若者には、悪いけど関係ないです。
インターネットがある時代の若者が、ない時代の若者の生活を想像できないと一緒。エコ、かっこいい、いじめ、かっこわるいって時代はもう終わってます。
だから、車や家電のメーカーの「エコで買い替えろ」なんていう強迫的なメッセージに感化されて新しくモノを買っちゃう人なんかより、「車?いらなくね?普通に考えて」と、普通の感覚で言えちゃう若者の方が、これからの時代の消費者としてよっぽどリアリティーがあると思います。
なぜか。理由は簡単。
モノを買うことで自己実現をはかる、なんて時代はもう終わったからです。
エコなんていう雰囲気だけの言葉に踊らされて、モノを買い替えちゃうような人間は、悪いけど消費の仕方として成熟してない。戦後に冷蔵庫やクーラーを3種の神器とか呼んで、「それを持つことがステータス」という意識でモノを買ってた時代の人間と変わっていないんです。
エコを巡る消費者の変化には、本当は「エコの向こう側」がある。もっと本質的な変化があると思います。
それは、エコだけに限らず、自分たちの購買行動が社会にインパクトを与えうるという認識を持つこと、そして購買だけに限らず、購買/非購買/日常生活/社会活動その他諸々全てが、社会とつながっているという自覚を持つこと。
それが、「エコいいよね〜」という言葉の奥で本当に起こっている変化です。消費者が、自分が持つ力を正しく認識し、社会を自分たちの志向に沿ったものに変えて行こうという意志を持つこと。それが可能であると知ること。それが、最も大きなインパクト。
だから、エコなんて全然しらねーよアホ!という人がいて良いし、エコが一番大事やこのアホ!という人がいていいし、その自由な社会の中で、一定のポイントを見つけ、合意形成を行い、それに基づいて社会があるべき姿に向けてつくっていく、という行為が行えるようになることが、消費あるいはシティズンシップの成熟ということであり、消費を単なる消費に終わらせない社会参加の手段にすることであり、お仕着せの思想や商品を選びとらない成熟した市民になるということ。
もしあなたが「エコってなんか恥ずかしい」「なんか嫌い」と感じていて、でもそれを言い出せないとしたら、胸を張っていいと思います。あなたは間違ってない。
エコなんてくそくらえ。ライフスタイルを選ぶのは我々自身であり、空気やトレンドやお説教、その他のなにものであってもならないのです。
マーケティングや物理学だけじゃなく、社会心理学にもクリティカルマス=量的臨界点という言葉があって、10人中2人が赤信号を渡ってもあとの8人は待つけど、10人中7人まで渡ると、10人全員が渡ってしまう、という量的なポイントのことを言います。
集団の参加メンバーのある行動や決定の総和が、参加メンバー全体の行動や決定に影響を与えうるポイントですね。
エコがクリティカルマスを越えていると仮定して、あなたがもし「エコっていいかも」と思っているとしたら、その根拠って何でしょう?
周りの空気とか、世間の空気とか、そういうよくわからない曖昧なものだったりしませんか?
オレが最もイヤだなと思うのは、空気に左右されやすい人間って、他のモノにも左右されやすいことです。エコがいいって言われればそれを信じ、他のものが言われるようになれば、またそちらへ流れる。空気は人を動かす大きな力になりますが、その分間違うことも多い。
道路を渡る時は、信号や周りの人だけを見るんじゃなくて、自分の目で右と左を見て、確かめてから渡りましょう。小学校でそう習ったはずです。
http://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/2632.html
今日虫歯になってしまった親知らずを抜いてきました。
痛みはなかったのですが、耳元で「ミシミシミシミシ」といいながら歯が出てきた時は、なかなか感慨深いものがありました。
それにしても、抜いてから3時間くらい経っても、冷たいものを飲んでも舌がそれを感じない!
いったいどれくらいの強さの麻酔が効いているのか、そっちの方に興味がいってしまいました。